企業のコミュニティジレンマとネットワークパーミッション

最近facebookを使っていて直感的な感覚ですがtwitterが勢いをなくした時のような感覚を感じています。
定説になっているコミュニティの限界がそろそろ来たのではないだろうか。SNSがどのように進化するかという話になるんだろうけどlinkedinしかfacebook以外に思いつかないけれども、twitterが勢いをなくしてきたときはfacebookがその競合にすら上がらなかったことを覚えている。

コミュニティには限界がある。これは今までずっと言われてきていてどんなSNSも必ずコミュニティの限界に来ている。いわば定説になっている。これをどういう仕組みでクリアするべきかといろんな仕組みが採用されてきた。friendstarやgmailの招待制, そしてfacobookのネットワーク。

今では廃止になってしまったがfacebookが採用していたネットワークの仕組みが今後再認識されるのではないかと私は思っています。一企業が運営している限りコミュニティを増やさないといけない。これは宿命であり「企業のコミュニティジレンマ」と定義する。企業のコミュニティジレンマは一企業が運用するコミュニティであるかぎり解消されない。コミュニティのサイズが企業のサイズだからだ。

では一企業の傘下に属さないコミュニティを考えてみると かつてのfacebookのネットワークと言う考え方が有効ではないかと思う。かつてのfacebookネットワークは同じ大学同士出の交流のみ、同じ国同士のネットワークのみでの交流しか出来なかった。他のネットワークの友人ができるとそのネットワークとも交流できるという仕組みだった。ユーザ数が増えると共にネットワークの規模が大きくなり、現在のようにネットワークという仕組みがなくなり今のfacebookとなった。

まず、企業のコミュニティジレンマを解消するためにあくまでコミュニティの運用は独立した運営であることが必須となる。これは明らか。人は必ずどこかのコミュニティに属している。会社であり家族でありまたは、捉え方では個人事業なら個人かもしれない。そしてその属するコミュニティは変化する。会社をやめれば会社のコミュニティから離脱し、離婚すれば家族のコミュニティから離脱する。

コミュニティはコミュニティ同士連結してコミュニティを作る。この連結をネットワークという。このネットワークは歴史的に見て必ず何らかのきっかけ・意図があって連結される。パスポート・ビザ・入国審査、友好条約、関税、結婚、入学、就職などを通してネットワーク同士が接続されている。退職、離婚すれば相手方とのコミュニティとの接続も断絶されることもあるだろう。

このようにネットワークはあるルール・管理のもとに接続されている。
コミュニティ同士の接続ルール・許可、「ネットワークパーミッション」がコミュニティの限界では重要なのではないかと仮設を立てて恒久性の高いSNSについて考えていこうと思う。